討議資料・見解・私学おおさか

2010/11/1
〈特別決議〉辺野古移設の「日米合意」を撤回し、世界一危険な普天間基地の無条件返還と、
                                             沖縄県知事選挙を支援するための決議
 昨年の総選挙時に「最低でも国外」とした普天間基地の移設公約を、当時の鳩山首相は「抑止力のことを学べば学ぶほど、やはり沖縄に海兵隊はいなければならないと分かった」と、いとも簡単に公約を投げ捨て、「辺野古地区及びこれに隣接する水域」へ普天間基地を移設するとの日米合意を結んだ。
鳩山首相の後に登場した菅首相も、「(普天間基地の移設について)日米合意をふまえてすすめる」立場を表明し、就任後すぐにオバマ大統領にその実行を約束した。日米合意は、辺野古に「1800メートルの長さの滑走路を持つ普天間代替施設」を建設すること、その位置・工法に関する専門化の検討を「いかなる場合でも8月末日までにさせ」ることなど、これまで自公政権がすすめてきたものと同じ方向である。
普天間基地移設に対する沖縄県民の意思は明確である。1996年4月、橋本首相(当時)が、アメリカの圧力に屈して、代替施設を建設するかわりに普天間基地を「全面返還」してもらう約束をした。しかしその後、14年間、工事のための杭一本打つことが出来なかった。1997年名護市での市民投票で、海上ヘリ基地構想に過半数の市民が「ノー」の審判を下した。辺野古沖を埋め立てて「軍民共用」飛行場をつくるという計画も県民の反対運動の前に撤回を余儀なくされた。2009年に三度出されてきたのは辺野古にV字型の2本の滑走路をもつ巨大な最新鋭基地を建設する案だった。2010年1月に行われた名護市長選挙では新基地建設反対を掲げる市長が誕生した。2010年4月25日には「米軍普天間飛行場の早期閉鎖・返還と、県内移設に反対し、国外・県外移設を求める県民大会」(沖縄・読谷運動場)に9万人を超す県民が集まった。これには県知事、沖縄県下の全首長も参加し、文字通り沖縄県ぐるみの大会となった。
普天間基地は太平洋戦争の沖縄戦で沖縄に上陸・占領した米軍が、住民を収容所に強制収容し、その間に土地を奪って基地としたものである。基地を撤去し、土地を地主に返還することは当然のことである。
普天間基地は宜野湾市のほぼ中央部に位置し、宜野湾市のほぼ4分の1を占拠している。普天間基地の滑走路両端900メートル以内には「公共施設・保育所・病院が18カ所、住宅約800戸、約3600人の住民が居住」(宜野湾市基地渉外課)しているが、アメリカの基準ではこの区域は危険なため「クリアゾーン」と設定され、いっさいの土地利用を禁止している。普天間基地が「世界一危険な基地」と言われるゆえんである。2004年8月13日、沖縄国際大での米軍ヘリ墜落炎上事故は記憶に新しいところであるが、米軍関係の事件事故は頻繁に起こっている。また昼夜区別なく繰り返される演習による騒音は、宜野湾市民にもはや耐え難いものとなっている。
普天間基地は日本を守る「抑止力」ではなく、アメリカがすすめる戦争の危険な基地に過ぎない。そのことはワインバーガー米国防長官が「沖縄の海兵隊は、日本防衛に割り当てられていない。それは米第7艦隊の即応海兵隊を成し、第7艦隊の通常作戦区域である西太平洋、インド洋のいかなる場所にも配備される」と、米上院歳出委員会国防小委員会に提出した書面で明確に述べている。
大阪私学教職員組合はこのような危険な普天間基地の即時無条件返還を強く求めると共に、11月に行われる沖縄県知事選挙で、普天間基地の無条件返還・撤去、新基地建設反対の先頭に立ってきた前宜野湾市長の伊波洋一さんの当選めざし支援するものである。

以上決議する。

大阪私学教職員組合第119回大会
2010年10月22日






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