討議資料・見解・私学おおさか

2009/2/16
公費民営私学論 「公費民営私学」論の復権を

 
「公費民営私学」論の復権を

  1994年1月5日、同月15日(「私学おおさか」)

大私教小中高校部執行委員長 井上 明



 *この「『公費民営私学』論の復権を」は、1993年11月26日の小中高校部学習会で井上明委員長が行った講義に加筆したものです。



一、いまなぜ「公費民営私学」の復権か

    ―――公費民営をめぐる「二つの戦線」



 いま私学助成は十年来の厳しい状況におかれています。「日本教育新聞」によると、神奈川・愛知・大阪三府県の交付団体移行に伴って義務教育費国庫負担金の財源捻出を私学助成の削減に求めるという文部省の予算編成方針だそうです。実は十年ほど前、中曽根内閣の時に私学助成が10%削られて、それ以降もずっとマイナス10%シーリングという政策のもとで、にもかかわらず増額されてきたのは、我々の運動の力はもちろんですが、公立学校の施設整備費などを削って私学助成に回していたということです。今度は私学助成を削って公立の義務教育費へ回すというわけです。だから我々が十年来言ってきた「軍事費を削って教育費を増やせ」という主張の正しさが、今回の新聞報道で証明されているのではないかと思います。私学助成が大なたを振るわれようとしているこの時期に“公費民営論”なんてとお思いの方もおられると思いますが、しかし、むしろこのような厳しい状況だからこそ、攻撃をはねかえす上でも「公費民営私学」論を「復権」させなければならないと思うのです。



「公費民営私学」とは何か



 さて、「公費民営私学」とは何か。

 1980年9月、大私教小中高校部第4回総会ではじめて討議資料として提案したことがあります。ここでいう「公費民営私学」というのは、私学一般に当てはめているのではありません。私立高校の政策です。また、私立高校を公立に移管してしまうということでもありません。簡単に言えば、現在の学校法人立高校のまま必要な教育費はすべて公費で賄うようにしようという主旨です。

 「公費民営私学」論が燎原の火のように全国に広がった時期があります。それは、1975年に私立学校振興助成法――この法律は一見私学の味方のような装いで、実は私学をひどい目に遭わせる内容で、眉唾ものですが――ができ、私学助成がカギ括弧つきながら法律助成となり、法的根拠を持つようになった。そして私学助成運動や学費値上げ反対闘争が全国に広がって行った。こうした状況を反映して、長野私教連が最初に「公費民営」を言い出しました。つづいて京都私教連、岡山私教連というふうに、各地の私教連が主張したのです。大私教も、公費民営の道を選ぶのか私費民営の道を選ぶのか、を問いかけた「『公費民営私学論』の検討をよびかける」という討議資料を出しました。



姿を消した公費民営論



ところが、この「公費民営」論はいつのまにか姿を消しているんですね。主張しつづけているのは大阪だけなんです。京都も岡山も、本家本元の長野私教連も言っていない。これは臨調・「行革」の影響です。どういうことかと言いますと、82年に805億円に達した私立高校等国庫補助が84年に716億円に削られ、私学助成運動の苦難の道が始まるんです。その後の削減攻撃をはねのけてチビチビですが、国庫補助を増やしてきたという十年間だったわけです。こんな中で、どこの私教連も「公費民営私学」を言わなくなった。言わなくなったばかりか、いつの間にか、経常費助成については経常費二分の一補助は国民合意だ、これ以上は無理なんだという風潮が運動内部に広がる状況になっています。

1987年日教組私立学校部(当時)が出した討議資料「高校準義務教育化をめざす90年代の私学助成政策」というのがあります。「公費民営私学」という言葉は使っていませんが、内容的にはそれに近い抜本的私学助成政策の確立を訴えているのですが、運動論の上では「二分の一経常費補助天井」は当たり前だ、それ以上要求するのは厚かましい、大阪の主張はちょっとおかしいのではないかという気分が支配的になってきています。

しかし、中曽根内閣によって削られたあとの十年間の苦闘――私学助成だけでなくて、教育の内実をめぐる悪戦苦闘をふまえてですが――のなかで、やっぱり「公費民営私学」こそ歴史の必然なんだということがますます大きな確信として迫ってくるという事態となっているのです。



公費に値する公教育を



 この間の経過を通して、「公費民意私学」へのアプローチは二つの面からすすめられてきました。一つはいうまでもなく、私学の財政、教育費に占める公費負担を増やすたたかいです。もう一つは私学に公教育を確立するという教育の内実の問題です。

 私学の教育費をすべて公費で賄うという主張は、私学教育は私教育ではない、公教育なんだということを前提に成り立ちます。教育費は公費で賄われるけれども、そこで行われる教育は条理に反する得手勝手な、教育の自由ではなくて反教育の自由だという状態では、「私学教育は公費で」という主張が成り立たないのは明らかです。そういう意味では、教育そのものを教育の条理にもとづいて公教育にしていく闘いの分野があったということも否定できない事実です。

 この二つの面から「公費民営私学」が歴史の必然なんだということを話していきたいと思います。



「私立高校経営の研究」は何を語るか



 最初に財政の問題です。日私中高連(日本私立中学高等学校連合会)の外郭団体・私学教育研究所の「私学財政研究会」が全国1





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